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恋するソルダムを味わう[自給自足農園「ゆめぞの」から(池田孝蔵)]
投稿日時:2014/07/29(火) 11:05
今年は珍しくソルダムが五つほど実をつけた。毎年数個の実をつけるのだが、ちゃんと受粉木と交配がなされないと、プラムみたいに小さく、本来のソルダムではなかった。しかし、今年は、ちゃんとしたものらしきものが、五つ確認できたのである。
少し色づくとたちまち鳥に狙われてしまうので、今年は早めに不織布で覆って熟すのを待つことにした。7月も下旬となり、そろそろかと、様子を見に行ったところ、特に良さそうなものが3個なくなっているではないか。不織布はかかったまま、鳥がついばんだ形跡は何もないのに、完全になくなっている。落ちたのではと、木の下を探しても何もない。これは、布の隙間に腕を差し込まないと、採れないのは明らかで、人間に盗まれたかと一瞬疑ってはみた。しかし、考えてみれば、大きな木にたった五つしかなっていないものを、わざわざ木に登って盗み取るような、奇特な人間がこの世にいるはずはない。それに、3個だけ盗んで、あと2個を残すのも理解できない。
そして、ふと近くのトウモロコシをみると、本日採り入れとしていたものが、根こそぎもぎ取られ、しかも、食い散らかした残骸が、そこここ散らばっているではないか。
もし、人間であったら、まさか生で食い散らかす事はないはずだ。カラスの食害もよくある話であるが、もぎ取って食い散らかすのは、鳥ではできないはずである。また、食べかすの芯は数本しかなく、ほとんどは持ち去られてしまっている。
スイカも大分被害があったが、これは鳥の仕業と割り切っていたが、トウモロコシの被害様相から推定すると、鳥ではない、知恵あるほ乳類の仕業としか考えられない。
おそらく狸かハクビシンではないか思われる。
不織布で覆ってガードしてもダメとあれば、もう、採り入れててしまうしかない。ほんとうは、8月上旬まで、じっくり木で熟すのを待ちたいところであるが、しかたがない。
そして、とうとう恋するソルダムを味わいました。たった2個、そのうちの一つを本日食べました。初恋はレモン味だそうですが、酸味もなだ大分残っていましたが、真っ赤な果肉は弾力があり、甘く濃厚な味で十分満足できました。
たった一つで物足りないと思われるかも知れないが、本当に旨い物は、一つでも十分だと考えています。もし、それがたくさんあれば、それが当たり前になってしまい、有り難みもなくなると思うからです。
「弁慶の一本槍」というのをご存知だろうか。弁慶は生涯にただ一度しか女性と交わったことがないという。なぜならば、ただ一度の経験で、これは何回行っても同じことだと悟ったからだという。さすが偉人は違うものだと感心させられたものだ。
この度のソルダムも「弁慶の一本槍」みたいなものと思えないこともない。
負け惜しみだろうか。
コメント、問い合わせ記入方法[自給自足農園「ゆめぞの」から(池田孝蔵)]
投稿日時:2014/07/21(月) 20:51
コメント、問い合わせ記入方法
ブログについて、コメントを記載して送信をクリックすると、管理者が検討して問題がなければ公開するとの表示がでるが、それきりになってしまうのは、コメント内容に管理者が問題ありとして、公開を差し止めているためでしょうか。
また、問い合わせで、その旨を問い合わせ欄に記入して送信をクリックすると、問い合わせの種類を選定して下さいの表示がでるが、種類とは何なのか不明で、選定しようがないので、問い合わせが使用できない。どうしたらよいのでしょうか?ゆめぞのDIYの変遷[自給自足農園「ゆめぞの」から(池田孝蔵)]
投稿日時:2014/07/19(土) 09:34
ゆめぞのDIYの変遷
自給自足農園では、食物ばかりでなく農園生活に必要なものはできたら自分で作りたいものだ。 先ず手がけたのが休憩小屋である。これは、埼玉県秩父の、名栗村の檜間伐材で、カヌー製作者がその技術を用いて、手作りバンガローを販売している事を知り、大きさも3m四方と手頃なので、キットを購入して、自分で建てた。
次に手がけたのが、井戸である。農業には水はどうしても必要なので、近所のお年寄りの知恵とお力をお借りして、二人で掘った。その手法は、足場パイプを二人で合図を掛け合って突き入れる方法で、半日ほどで6mほど達したところで、水脈に達し、吸い出しパイプと手押しポンプを設置して、何とか成功はしたものの、この周辺は鉄分が多く、錆くさい。濾過器で、木炭などを実験してみたが、思ったほど効果がなく、井戸はあきらめた。それに変えて、小屋の屋根に樋を設置して、雨水をタンクに貯める方法を現在は採用している。天からもらい水は最も原始的で最も確かな方法であることをしった。飲むことはできなくても、野菜洗いなど農園生活には、十分である。
次に手がけたのが、コミュニティールームである。仲間とギター合奏を楽しんだり、カラオケや宴会などできるように、設備を整えた。幸い、レーザーカラオケセットを有していたので、この小屋に移設した。
実は、この小屋を建造するのが、最大の難関だった。概略の構想は頭にあったが、基礎から屋根まで、すべてが初めての経験で、材料も毎週少しずつ買い足しながら、3ヶ月あまりの期間を経て完成した。最も苦労したことは、一人での施工のため、棟上げなどのとき、片方を誰かに持ち上げてもらうことができないことである。こんな時のために特殊なクランプがあることを知った。そんな道具を使いこなすことは、なかなかの快感であることも知った。そしてできあがったのは、木陰に、障子張りの、こぢんまりとした、たたずまいで、忘れかけていた日本家屋の味を思い出させてくれる。私は信州で障子張りの家屋で育ったが、屋外と屋内の境界が紙一枚というのは、実に微妙なものである。伊勢湾台風のとき、強風で障子が撓んでしまうほどで、一家総出で障子を内側で押さえた記憶がある。
次に手がけたのが、囲炉裏である。田舎の大きな家ならともかく、囲炉裏を設けるのは屋外しかないが、しかたないから、足場パイプを組み周囲をビニールシートで囲み、簡単な屋根を設置した。囲炉裏を囲み、焚き火を見ながら酒を酌み交わす味は格別である。現代人は焚き火の味を忘れてしまっている。
次に手がけたのが、ウッドデッキである。大自然の中で、日向ぼっこをしながら、お茶などを夢見て製作したが、大自然の木が生い茂り、日向がほとんどなくなってしまい、現在は、放置してしまっている。
木工は、小さな物は木箱から始まり、テーブル、イス、小屋といろんな物に取り組んでみたが、結局基本技である組み手の技術をどうしても習得できなかった。東急ハンズで木工用特殊機材を購入してみたが、ピシッと決まらない。しかし、最近の電動工具の機能は誠にすばらしいものがある。
自給自足農園のための設備は一通り確保できた。次にやってみたいと思っていたのは、燻製作りだ。単なるバーベキューだったら、いつでも可能だが、燻製はひと味違う。できることなら生ハムのような冷燻をやりたいところだが、10度以下の温度で一ヶ月以上維持しながらの燻製は、事実上不可能だ。そこで温燻に取り組んだ。70度~80度程度で4時間ほど燻ぶすと、かなり大きな肉塊もほどよく仕上がる。手作りの燻製の味は、どんなにお金を払っても、現実の世界ではほとんど味わうことはできない。
その他、ゆめぞのでは、豆腐、納豆、手前味噌、ドブロク、各種漬け物など手作りにこだわって、自給自足を楽しんでいる。
食物以外では、鍛冶屋である。包丁やナイフを鍛造で作るのである。特別な炉やふいごは不要だ。地面に木炭を積み上げ、ヘアドライアーで扇げば十分だ。ハンマーで叩いて鍛造整形し、焼き入れする。さらにグラインダーで荒削り、続いて砥石で仕上げるのだが、十数本作っただろうか。ところが、切れ味が今一なのと、錆びやすいということで、最近はやっていない。
ゆめぞののDIYは、最近はやりたいことは、一通りやり終えたかな、という心境である。その中で手前味噌、ドブロク、燻製、各種漬け物の様に定着したものもあれば、豆腐、ナッットウ、鍛冶屋など消え去ったものも多い。
そこで、最近取り組み始めたのが、裁縫である。知人から譲り受けたミシンで手始めにぞうきんを縫ってみたが、どうしてもミシン目が安定しない。そこで、インターネットで最も人気が高いという機種を買い求めたところ、非常に安定したミシン目で、極めて満足だ。早速、ぞうきんから始め、ズボンの裾上げ、ジャンパーのファスナーの取り替え、クッションカバー、車のヘッドレストカバー、巾着袋の裏地ありなしなど、楽しんでいる。
ゆめぞののDIYは木工から始まり、金属細工を経て今や、布細工が主体となっている。最近は手芸店でいろんな素材を物色するのが、最高の楽しみとなっている
自給自足農園では、食物ばかりでなく農園生活に必要なものはできたら自分で作りたいものだ。 先ず手がけたのが休憩小屋である。これは、埼玉県秩父の、名栗村の檜間伐材で、カヌー製作者がその技術を用いて、手作りバンガローを販売している事を知り、大きさも3m四方と手頃なので、キットを購入して、自分で建てた。
次に手がけたのが、井戸である。農業には水はどうしても必要なので、近所のお年寄りの知恵とお力をお借りして、二人で掘った。その手法は、足場パイプを二人で合図を掛け合って突き入れる方法で、半日ほどで6mほど達したところで、水脈に達し、吸い出しパイプと手押しポンプを設置して、何とか成功はしたものの、この周辺は鉄分が多く、錆くさい。濾過器で、木炭などを実験してみたが、思ったほど効果がなく、井戸はあきらめた。それに変えて、小屋の屋根に樋を設置して、雨水をタンクに貯める方法を現在は採用している。天からもらい水は最も原始的で最も確かな方法であることをしった。飲むことはできなくても、野菜洗いなど農園生活には、十分である。
次に手がけたのが、コミュニティールームである。仲間とギター合奏を楽しんだり、カラオケや宴会などできるように、設備を整えた。幸い、レーザーカラオケセットを有していたので、この小屋に移設した。
実は、この小屋を建造するのが、最大の難関だった。概略の構想は頭にあったが、基礎から屋根まで、すべてが初めての経験で、材料も毎週少しずつ買い足しながら、3ヶ月あまりの期間を経て完成した。最も苦労したことは、一人での施工のため、棟上げなどのとき、片方を誰かに持ち上げてもらうことができないことである。こんな時のために特殊なクランプがあることを知った。そんな道具を使いこなすことは、なかなかの快感であることも知った。そしてできあがったのは、木陰に、障子張りの、こぢんまりとした、たたずまいで、忘れかけていた日本家屋の味を思い出させてくれる。私は信州で障子張りの家屋で育ったが、屋外と屋内の境界が紙一枚というのは、実に微妙なものである。伊勢湾台風のとき、強風で障子が撓んでしまうほどで、一家総出で障子を内側で押さえた記憶がある。
次に手がけたのが、囲炉裏である。田舎の大きな家ならともかく、囲炉裏を設けるのは屋外しかないが、しかたないから、足場パイプを組み周囲をビニールシートで囲み、簡単な屋根を設置した。囲炉裏を囲み、焚き火を見ながら酒を酌み交わす味は格別である。現代人は焚き火の味を忘れてしまっている。
次に手がけたのが、ウッドデッキである。大自然の中で、日向ぼっこをしながら、お茶などを夢見て製作したが、大自然の木が生い茂り、日向がほとんどなくなってしまい、現在は、放置してしまっている。
木工は、小さな物は木箱から始まり、テーブル、イス、小屋といろんな物に取り組んでみたが、結局基本技である組み手の技術をどうしても習得できなかった。東急ハンズで木工用特殊機材を購入してみたが、ピシッと決まらない。しかし、最近の電動工具の機能は誠にすばらしいものがある。
自給自足農園のための設備は一通り確保できた。次にやってみたいと思っていたのは、燻製作りだ。単なるバーベキューだったら、いつでも可能だが、燻製はひと味違う。できることなら生ハムのような冷燻をやりたいところだが、10度以下の温度で一ヶ月以上維持しながらの燻製は、事実上不可能だ。そこで温燻に取り組んだ。70度~80度程度で4時間ほど燻ぶすと、かなり大きな肉塊もほどよく仕上がる。手作りの燻製の味は、どんなにお金を払っても、現実の世界ではほとんど味わうことはできない。
その他、ゆめぞのでは、豆腐、納豆、手前味噌、ドブロク、各種漬け物など手作りにこだわって、自給自足を楽しんでいる。
食物以外では、鍛冶屋である。包丁やナイフを鍛造で作るのである。特別な炉やふいごは不要だ。地面に木炭を積み上げ、ヘアドライアーで扇げば十分だ。ハンマーで叩いて鍛造整形し、焼き入れする。さらにグラインダーで荒削り、続いて砥石で仕上げるのだが、十数本作っただろうか。ところが、切れ味が今一なのと、錆びやすいということで、最近はやっていない。
ゆめぞののDIYは、最近はやりたいことは、一通りやり終えたかな、という心境である。その中で手前味噌、ドブロク、燻製、各種漬け物の様に定着したものもあれば、豆腐、ナッットウ、鍛冶屋など消え去ったものも多い。
そこで、最近取り組み始めたのが、裁縫である。知人から譲り受けたミシンで手始めにぞうきんを縫ってみたが、どうしてもミシン目が安定しない。そこで、インターネットで最も人気が高いという機種を買い求めたところ、非常に安定したミシン目で、極めて満足だ。早速、ぞうきんから始め、ズボンの裾上げ、ジャンパーのファスナーの取り替え、クッションカバー、車のヘッドレストカバー、巾着袋の裏地ありなしなど、楽しんでいる。
ゆめぞののDIYは木工から始まり、金属細工を経て今や、布細工が主体となっている。最近は手芸店でいろんな素材を物色するのが、最高の楽しみとなっている
あと何年[自給自足農園「ゆめぞの」から(池田孝蔵)]
投稿日時:2014/07/10(木) 19:53
あと何年
あの「吾亦紅」の作詞、作曲のちあき哲也、杉本真人のコンビが世に送り出したが、あまり知られていない歌に「銀座のトンビ」というのがある。わたしに言わせれば、「吾亦紅」よりメッセージ性に富み、しかも、調子が良く、歌っても楽しい歌なのに、なぜ、流行しないのか不思議でならない。わたしは、最近は好んでこの歌をカラオケで歌うが、あまり皆さんにはなじみがないようではあるが、おじいさんとおばあさんばかりなので、その雰囲気は結構受け入れられているようである。
「あと何年、おれは 生き残れる」から始まり、「今まで超えてきた、してきたことに、悔いはなくても」「ときに昔の泣かせた誰かの傷が、胸のあたりにチクリチクリ」のあたりでグッとくる。亀山君の近況報告にもあったが、若気の至りは、歳をとってからは、思い出す度に「チクリチクリ」である。
そして、「あと何年、あと何年、あと何年だとしても、」「おれは、おれのやり方で、お祭りやってやるけどね」と明るく悪びれない明るさがある。
この歌には、過去とこれからの未来とのつきあい方に、多くの示唆がある。過去にとらわれることなく、未来に対してはあくまでも自分のやり方で貫いてもいいんだというメッセージを、明るいリズムとメロディーで歌い上げている。
あと何年と自分に問い返してみると、「たかだか十年」という言葉が返ってくる。
現在の平均寿命は男が79歳、女が86歳と言われている。十年を切ってしまっている。過去を振り返ると十年なんて、つい、この間という感じがする。
学生時代に、「50歳過ぎてまで生きていようとは思わない」と、よく言っていたことを覚えている。もう、すでに21年も余分に生きてしまったことになるが、その割に切実感がない。相変わらず、ゴルフがうまくならない、野菜が病害に冒されろくにできない、マンドリンがうまく弾けないなど、煩悩に振り回されている。しかし、考えてみると、何とも気楽な煩悩であることか。
本当に深刻な問題は、「いつ、ボケるかわからない」ということである。最近、テレビで、7年間も身元不明のまま施設で保護されていた老婆が、報道されていた。自分の名前さえも解らなくなってしまうことがあるのだ。もう、他人事では済まない時代になった。明日は我が身かもしれない。そこまでひどくなくても、足腰が衰えて介護を受けざるを得ない状況に追い込まれたときは、どうするのか。それを子供に頼るのは、子供の人生を奪う、場合によってはこの世の地獄にもなりかねない。
なんとか、介護の世話にならないで人生の終焉を迎えるというのが、現在の最大の人生目標である。そのためには、どのようにすればよいのか。
介護が必要になるのは、体は健康だが、認知症で、自分の事が自分で処理できない場合と、頭は正常で通常の判断力があるが、体が不自由で自分の事が自分で処理できない場合と、二通りある。体も頭も共に衰えてしまうのは、理想的な老衰であり、介護を必要としても、ごく短いか、あるいはゼロ、いわゆるポックリさんだ。わたしの父はそうだった。85歳の歳の瀬も押し迫った12月20日、米の収穫も終わり、炭焼きなどの冬支度も終えて、夜中の3時頃、寒いから風呂に入りたいと言いだして、風呂を沸かさせて入ったところ、いつまでも出てこない。何とか風呂から出して、寝かせたところ、朝、何時になっても起きてこない。行ってみるとすでに亡くなっていたという。
なんという理想的な死に方であることか。この父は高齢ながらも一人で農業を続けてきたことが、心身の老化の調和がとれ、眠るように人生の最後を迎えられたのではないかと思っている。私はこの体験談をまとめて、雑誌文藝春秋の「理想的な死に方」についての論文募集に応募してみた。五木寛之氏が審査員だったが、残念ながら入選は果たせなかった。
「Man is mortal」人間は誰でも死ぬものだが、死ぬその日までは心身共に、精一杯活動して行くことが、結果的に、明日死んでも悔いの残らない生活であり、介護も必要としない人生を全うできるような気がする。
「銀座のトンビ」はちょうどそんな心境を謳っているが、題名がイタダケナイ。わたしだったら、「あと何年」とつけたいところなので、せめて本稿の題名とした。
それにしても曲の最後の「ワッショイ」の連呼は、もうやけくそみたいで、とてもじゃないが最後まで歌いきることができない。せめて、一発の「ワッショイ」で締めたら、おしゃれでかっこよかったのに、残念である。
http://www.youtube.com/watch?v=yMvpUDVzWww&feature=player_embedded#t=95
あの「吾亦紅」の作詞、作曲のちあき哲也、杉本真人のコンビが世に送り出したが、あまり知られていない歌に「銀座のトンビ」というのがある。わたしに言わせれば、「吾亦紅」よりメッセージ性に富み、しかも、調子が良く、歌っても楽しい歌なのに、なぜ、流行しないのか不思議でならない。わたしは、最近は好んでこの歌をカラオケで歌うが、あまり皆さんにはなじみがないようではあるが、おじいさんとおばあさんばかりなので、その雰囲気は結構受け入れられているようである。
「あと何年、おれは 生き残れる」から始まり、「今まで超えてきた、してきたことに、悔いはなくても」「ときに昔の泣かせた誰かの傷が、胸のあたりにチクリチクリ」のあたりでグッとくる。亀山君の近況報告にもあったが、若気の至りは、歳をとってからは、思い出す度に「チクリチクリ」である。
そして、「あと何年、あと何年、あと何年だとしても、」「おれは、おれのやり方で、お祭りやってやるけどね」と明るく悪びれない明るさがある。
この歌には、過去とこれからの未来とのつきあい方に、多くの示唆がある。過去にとらわれることなく、未来に対してはあくまでも自分のやり方で貫いてもいいんだというメッセージを、明るいリズムとメロディーで歌い上げている。
あと何年と自分に問い返してみると、「たかだか十年」という言葉が返ってくる。
現在の平均寿命は男が79歳、女が86歳と言われている。十年を切ってしまっている。過去を振り返ると十年なんて、つい、この間という感じがする。
学生時代に、「50歳過ぎてまで生きていようとは思わない」と、よく言っていたことを覚えている。もう、すでに21年も余分に生きてしまったことになるが、その割に切実感がない。相変わらず、ゴルフがうまくならない、野菜が病害に冒されろくにできない、マンドリンがうまく弾けないなど、煩悩に振り回されている。しかし、考えてみると、何とも気楽な煩悩であることか。
本当に深刻な問題は、「いつ、ボケるかわからない」ということである。最近、テレビで、7年間も身元不明のまま施設で保護されていた老婆が、報道されていた。自分の名前さえも解らなくなってしまうことがあるのだ。もう、他人事では済まない時代になった。明日は我が身かもしれない。そこまでひどくなくても、足腰が衰えて介護を受けざるを得ない状況に追い込まれたときは、どうするのか。それを子供に頼るのは、子供の人生を奪う、場合によってはこの世の地獄にもなりかねない。
なんとか、介護の世話にならないで人生の終焉を迎えるというのが、現在の最大の人生目標である。そのためには、どのようにすればよいのか。
介護が必要になるのは、体は健康だが、認知症で、自分の事が自分で処理できない場合と、頭は正常で通常の判断力があるが、体が不自由で自分の事が自分で処理できない場合と、二通りある。体も頭も共に衰えてしまうのは、理想的な老衰であり、介護を必要としても、ごく短いか、あるいはゼロ、いわゆるポックリさんだ。わたしの父はそうだった。85歳の歳の瀬も押し迫った12月20日、米の収穫も終わり、炭焼きなどの冬支度も終えて、夜中の3時頃、寒いから風呂に入りたいと言いだして、風呂を沸かさせて入ったところ、いつまでも出てこない。何とか風呂から出して、寝かせたところ、朝、何時になっても起きてこない。行ってみるとすでに亡くなっていたという。
なんという理想的な死に方であることか。この父は高齢ながらも一人で農業を続けてきたことが、心身の老化の調和がとれ、眠るように人生の最後を迎えられたのではないかと思っている。私はこの体験談をまとめて、雑誌文藝春秋の「理想的な死に方」についての論文募集に応募してみた。五木寛之氏が審査員だったが、残念ながら入選は果たせなかった。
「Man is mortal」人間は誰でも死ぬものだが、死ぬその日までは心身共に、精一杯活動して行くことが、結果的に、明日死んでも悔いの残らない生活であり、介護も必要としない人生を全うできるような気がする。
「銀座のトンビ」はちょうどそんな心境を謳っているが、題名がイタダケナイ。わたしだったら、「あと何年」とつけたいところなので、せめて本稿の題名とした。
それにしても曲の最後の「ワッショイ」の連呼は、もうやけくそみたいで、とてもじゃないが最後まで歌いきることができない。せめて、一発の「ワッショイ」で締めたら、おしゃれでかっこよかったのに、残念である。
http://www.youtube.com/watch?v=yMvpUDVzWww&feature=player_embedded#t=95
難しいトマト栽培[自給自足農園「ゆめぞの」から(池田孝蔵)]
投稿日時:2014/07/07(月) 11:40
難しいトマト栽培
家庭菜園どの定番といえば、夏野菜でいえば、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、スイカがまず揚げられよう。自分で育てた野菜を朝もいで、取りたて新鮮なものを口にする喜びは、単においしいという言葉では表せない魂が喜んでいることを実感できる。
これが家庭菜園の魅力であることは、だれもが知っている。
ところが、これはそう簡単なことではない。トマトについて言えば、作り始めて35年以上になるが、ロクにできたことがない。トマトが一番楽しみなのに、病気に冒されて、熟して赤くなるのではなく、病んで腐ってゆく過程で赤くなるものを、かろうじて味わうしかないのである。
わたしは、別に無農薬、無化学肥料での有機栽培にこだわっているわけではない。ただただおいしいトマトが食べたいだけなのだ。だから、野菜栽培について、読んだ本は数知れない。市販されている本以外にも、図書館に通って読みあさった。その結果、雨に当たらないため、雨よけのビニールで覆う、バイラス病予防のために紗で覆う、疫病予防のため、ダコニール、ダイセンなどで消毒する、草ボケしないようチッソ肥料を控え、堆肥など有機肥料を主体にするなど、考えられるすべての対策を実行してみたが、状況は少しも改善しない。終いには、ビニールハウスで、土をホームセンターで購入して、鉢植えで育ててみたら、なんとか成功した。ところが、苗の成長期には毎日水が必要で、怠ると、芯が枯死してしまうのである。家から一時間も要する農園に、毎日行くこともままならないことから、あきらめた。だいたい、土まで購入して栽培しても、自分で育てたという実感がなく、何かむなしいのである。
結局、できない原因は土にあることがわかった。ロクにできないことがわかっているので、やめてしまうのもさびしいので、数本程度の栽培にとどめている。今年は、2本と比較のため、おいしくないから本当は作りたくないのだが、ミニトマトを2本植えてみた。順調に育って、7月に入ったある日突然しんなりとしおれてしまった。青枯れ病である。こうなったら、どんな対策も効果がなく打つ手がないということは、すでに知っている。あきらめるしかない。専門書でも、打つ手がないから直ちに抜き取り、遠方に廃棄するとしか書かれていない。ところが、隣のミニトマトは順調なのである。青枯れ病耐性が強いのだ。この青枯れ病は土壌の細菌によるもので、土壌の水分で拡大する傾向があるため、今年のように雨が多いと特に被害は拡大してしまう。
青枯れ病はナス科の植物に特有な病気のため、当然、ナス、ピーマンも対象になるが、幸い今年は、青枯れ病耐性を持った台木に接ぎ木したナス苗を購入できたため、今のところ、順調である。トマトも何故、青枯れ病耐性を持った接ぎ木苗が出現しないのだろうか。
そもそも、トマト栽培って、本当にそんなに難しいものなだろうか。子供の頃、農家であった実家では、親父がいとも簡単にトマトを栽培していて、そのトマトもやたら大きく形もいびつであったが、それをもぐときの、むせかえるほどの強烈なトマトの木の臭いをよく覚えている。びっしり実をつけていた。それは我が家だけではなく、どこの畑でも同様で、子供達は、ため池での水泳の帰りには、少しの罪悪感はあったものの、こっそり盗み食いするのは、ごく一般的であった。しかし、「スイカ泥棒」だけは子供達の間でも、うわさは広がり、それだけは許されないという道徳観があった。田舎で通用する微妙なバランス感が、機能していたように思う。
当時のトマトだったら、簡単に香り豊かなトマトがつくれるはずだと強く思う。当時は、自家トマトから良さそうなものから、種をとり、それを翌年、苗から育てるのは、ナス、キュウリその他ほとんどの作物で常識であった。それは現在では不可能だ。なぜなら、一代交配種といって、種苗会社が、自家採取したものでは正常に育たなくするように品種改良済みだからである。たしかに品種改良によって、よりおいしい品種に改良することはすばらしいことであるが、その結果、家庭菜園ではできなくなってしまうという、負の側面も見逃せない。
モモタロウなどブランドトマトでなくとも、昔のあのむせかえるほどの香りのいびつトマトのほうが、家庭菜園ではずっと適しているはずだ。そのための品種改良は必要なく、昔の種からそのまま種を取るだけで済む話だ。
同じことが、エンドウ豆についてもいえる。大きな実がびっしりつまったエンドウ豆は若いうちはサヤごと煮物に、豆は乾燥してエンドウご飯にと、ごく一般的なものであったが、現在のスナップエンドウとは全く違う。木の大きさ、実の大きさ、皮の薄さ、つける実の多さが桁違いなのだ。田植えの前に、刈り取った実ったエンドウの木から、実をもぐのが子供達の役割であった。取ってもとっても終わらない。いい加減うんざりしてしまう。そのとき一緒にエンドウもぎしていた兄が、「孝蔵、世界で一番いやなことって何」と聞くから、「わからない」と答えると、兄は「オレは、エンドウもぎさ」といったのを記憶している。それほど大量な実がついていたのだ。
その品種のエンドウをどうしても手に入れたくて、農家をしている小学校の同級生に、自家採種でエンドウを栽培している人を探してもらって、その種を分けてもらって栽培してみたら、ふつうのスナップエンドウで、しかも、自家採種のためか特にできが悪い。
話は、横道にそれたが、では、専門トマト農家はどうしているかというと、ビニールハウスで完全な土壌消毒を実施している。土壌消毒には二つの方法がある。春先に「クロールピクリン」などの劇薬で燻蒸消毒する方法と、夏の暑い間、水を絶ち、ビニールで覆い、太陽熱で加熱消毒する方法である。いずれも家庭菜園で実行するには難がある。
結局、現代ではおいしいトマトは専門農家でしか作れない社会になってしまっているのである。それはすべて種苗会社が支配している。支配の中には当然陰謀という種類のものも含まれている。その陰謀の技術革新はめざましく、品種改良は今や、DNA組み替えの世界に踏み込んでいる。メンデルの法則によるエンドウの品種改良の時代が懐かしい。人類は禁断の神の領域に踏み込んでしまった。
除草剤(ラウンドアップ)をどんなに吸収しても枯れない大豆を食べたいと思いますか、その大豆以外の雑草はすべて枯れてしまうほどの猛毒ですよ。もちろん、そんな単純な図式の話ではないだろうが、倫理という面もあるのではないだろうか。
家庭菜園どの定番といえば、夏野菜でいえば、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、スイカがまず揚げられよう。自分で育てた野菜を朝もいで、取りたて新鮮なものを口にする喜びは、単においしいという言葉では表せない魂が喜んでいることを実感できる。
これが家庭菜園の魅力であることは、だれもが知っている。
ところが、これはそう簡単なことではない。トマトについて言えば、作り始めて35年以上になるが、ロクにできたことがない。トマトが一番楽しみなのに、病気に冒されて、熟して赤くなるのではなく、病んで腐ってゆく過程で赤くなるものを、かろうじて味わうしかないのである。
わたしは、別に無農薬、無化学肥料での有機栽培にこだわっているわけではない。ただただおいしいトマトが食べたいだけなのだ。だから、野菜栽培について、読んだ本は数知れない。市販されている本以外にも、図書館に通って読みあさった。その結果、雨に当たらないため、雨よけのビニールで覆う、バイラス病予防のために紗で覆う、疫病予防のため、ダコニール、ダイセンなどで消毒する、草ボケしないようチッソ肥料を控え、堆肥など有機肥料を主体にするなど、考えられるすべての対策を実行してみたが、状況は少しも改善しない。終いには、ビニールハウスで、土をホームセンターで購入して、鉢植えで育ててみたら、なんとか成功した。ところが、苗の成長期には毎日水が必要で、怠ると、芯が枯死してしまうのである。家から一時間も要する農園に、毎日行くこともままならないことから、あきらめた。だいたい、土まで購入して栽培しても、自分で育てたという実感がなく、何かむなしいのである。
結局、できない原因は土にあることがわかった。ロクにできないことがわかっているので、やめてしまうのもさびしいので、数本程度の栽培にとどめている。今年は、2本と比較のため、おいしくないから本当は作りたくないのだが、ミニトマトを2本植えてみた。順調に育って、7月に入ったある日突然しんなりとしおれてしまった。青枯れ病である。こうなったら、どんな対策も効果がなく打つ手がないということは、すでに知っている。あきらめるしかない。専門書でも、打つ手がないから直ちに抜き取り、遠方に廃棄するとしか書かれていない。ところが、隣のミニトマトは順調なのである。青枯れ病耐性が強いのだ。この青枯れ病は土壌の細菌によるもので、土壌の水分で拡大する傾向があるため、今年のように雨が多いと特に被害は拡大してしまう。
青枯れ病はナス科の植物に特有な病気のため、当然、ナス、ピーマンも対象になるが、幸い今年は、青枯れ病耐性を持った台木に接ぎ木したナス苗を購入できたため、今のところ、順調である。トマトも何故、青枯れ病耐性を持った接ぎ木苗が出現しないのだろうか。
そもそも、トマト栽培って、本当にそんなに難しいものなだろうか。子供の頃、農家であった実家では、親父がいとも簡単にトマトを栽培していて、そのトマトもやたら大きく形もいびつであったが、それをもぐときの、むせかえるほどの強烈なトマトの木の臭いをよく覚えている。びっしり実をつけていた。それは我が家だけではなく、どこの畑でも同様で、子供達は、ため池での水泳の帰りには、少しの罪悪感はあったものの、こっそり盗み食いするのは、ごく一般的であった。しかし、「スイカ泥棒」だけは子供達の間でも、うわさは広がり、それだけは許されないという道徳観があった。田舎で通用する微妙なバランス感が、機能していたように思う。
当時のトマトだったら、簡単に香り豊かなトマトがつくれるはずだと強く思う。当時は、自家トマトから良さそうなものから、種をとり、それを翌年、苗から育てるのは、ナス、キュウリその他ほとんどの作物で常識であった。それは現在では不可能だ。なぜなら、一代交配種といって、種苗会社が、自家採取したものでは正常に育たなくするように品種改良済みだからである。たしかに品種改良によって、よりおいしい品種に改良することはすばらしいことであるが、その結果、家庭菜園ではできなくなってしまうという、負の側面も見逃せない。
モモタロウなどブランドトマトでなくとも、昔のあのむせかえるほどの香りのいびつトマトのほうが、家庭菜園ではずっと適しているはずだ。そのための品種改良は必要なく、昔の種からそのまま種を取るだけで済む話だ。
同じことが、エンドウ豆についてもいえる。大きな実がびっしりつまったエンドウ豆は若いうちはサヤごと煮物に、豆は乾燥してエンドウご飯にと、ごく一般的なものであったが、現在のスナップエンドウとは全く違う。木の大きさ、実の大きさ、皮の薄さ、つける実の多さが桁違いなのだ。田植えの前に、刈り取った実ったエンドウの木から、実をもぐのが子供達の役割であった。取ってもとっても終わらない。いい加減うんざりしてしまう。そのとき一緒にエンドウもぎしていた兄が、「孝蔵、世界で一番いやなことって何」と聞くから、「わからない」と答えると、兄は「オレは、エンドウもぎさ」といったのを記憶している。それほど大量な実がついていたのだ。
その品種のエンドウをどうしても手に入れたくて、農家をしている小学校の同級生に、自家採種でエンドウを栽培している人を探してもらって、その種を分けてもらって栽培してみたら、ふつうのスナップエンドウで、しかも、自家採種のためか特にできが悪い。
話は、横道にそれたが、では、専門トマト農家はどうしているかというと、ビニールハウスで完全な土壌消毒を実施している。土壌消毒には二つの方法がある。春先に「クロールピクリン」などの劇薬で燻蒸消毒する方法と、夏の暑い間、水を絶ち、ビニールで覆い、太陽熱で加熱消毒する方法である。いずれも家庭菜園で実行するには難がある。
結局、現代ではおいしいトマトは専門農家でしか作れない社会になってしまっているのである。それはすべて種苗会社が支配している。支配の中には当然陰謀という種類のものも含まれている。その陰謀の技術革新はめざましく、品種改良は今や、DNA組み替えの世界に踏み込んでいる。メンデルの法則によるエンドウの品種改良の時代が懐かしい。人類は禁断の神の領域に踏み込んでしまった。
除草剤(ラウンドアップ)をどんなに吸収しても枯れない大豆を食べたいと思いますか、その大豆以外の雑草はすべて枯れてしまうほどの猛毒ですよ。もちろん、そんな単純な図式の話ではないだろうが、倫理という面もあるのではないだろうか。
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