自給自足農園「ゆめぞの」から(池田孝蔵)
難しいトマト栽培 [家庭菜園]
投稿日時:2014/07/07(月) 11:40
難しいトマト栽培
家庭菜園どの定番といえば、夏野菜でいえば、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、スイカがまず揚げられよう。自分で育てた野菜を朝もいで、取りたて新鮮なものを口にする喜びは、単においしいという言葉では表せない魂が喜んでいることを実感できる。
これが家庭菜園の魅力であることは、だれもが知っている。
ところが、これはそう簡単なことではない。トマトについて言えば、作り始めて35年以上になるが、ロクにできたことがない。トマトが一番楽しみなのに、病気に冒されて、熟して赤くなるのではなく、病んで腐ってゆく過程で赤くなるものを、かろうじて味わうしかないのである。
わたしは、別に無農薬、無化学肥料での有機栽培にこだわっているわけではない。ただただおいしいトマトが食べたいだけなのだ。だから、野菜栽培について、読んだ本は数知れない。市販されている本以外にも、図書館に通って読みあさった。その結果、雨に当たらないため、雨よけのビニールで覆う、バイラス病予防のために紗で覆う、疫病予防のため、ダコニール、ダイセンなどで消毒する、草ボケしないようチッソ肥料を控え、堆肥など有機肥料を主体にするなど、考えられるすべての対策を実行してみたが、状況は少しも改善しない。終いには、ビニールハウスで、土をホームセンターで購入して、鉢植えで育ててみたら、なんとか成功した。ところが、苗の成長期には毎日水が必要で、怠ると、芯が枯死してしまうのである。家から一時間も要する農園に、毎日行くこともままならないことから、あきらめた。だいたい、土まで購入して栽培しても、自分で育てたという実感がなく、何かむなしいのである。
結局、できない原因は土にあることがわかった。ロクにできないことがわかっているので、やめてしまうのもさびしいので、数本程度の栽培にとどめている。今年は、2本と比較のため、おいしくないから本当は作りたくないのだが、ミニトマトを2本植えてみた。順調に育って、7月に入ったある日突然しんなりとしおれてしまった。青枯れ病である。こうなったら、どんな対策も効果がなく打つ手がないということは、すでに知っている。あきらめるしかない。専門書でも、打つ手がないから直ちに抜き取り、遠方に廃棄するとしか書かれていない。ところが、隣のミニトマトは順調なのである。青枯れ病耐性が強いのだ。この青枯れ病は土壌の細菌によるもので、土壌の水分で拡大する傾向があるため、今年のように雨が多いと特に被害は拡大してしまう。
青枯れ病はナス科の植物に特有な病気のため、当然、ナス、ピーマンも対象になるが、幸い今年は、青枯れ病耐性を持った台木に接ぎ木したナス苗を購入できたため、今のところ、順調である。トマトも何故、青枯れ病耐性を持った接ぎ木苗が出現しないのだろうか。
そもそも、トマト栽培って、本当にそんなに難しいものなだろうか。子供の頃、農家であった実家では、親父がいとも簡単にトマトを栽培していて、そのトマトもやたら大きく形もいびつであったが、それをもぐときの、むせかえるほどの強烈なトマトの木の臭いをよく覚えている。びっしり実をつけていた。それは我が家だけではなく、どこの畑でも同様で、子供達は、ため池での水泳の帰りには、少しの罪悪感はあったものの、こっそり盗み食いするのは、ごく一般的であった。しかし、「スイカ泥棒」だけは子供達の間でも、うわさは広がり、それだけは許されないという道徳観があった。田舎で通用する微妙なバランス感が、機能していたように思う。
当時のトマトだったら、簡単に香り豊かなトマトがつくれるはずだと強く思う。当時は、自家トマトから良さそうなものから、種をとり、それを翌年、苗から育てるのは、ナス、キュウリその他ほとんどの作物で常識であった。それは現在では不可能だ。なぜなら、一代交配種といって、種苗会社が、自家採取したものでは正常に育たなくするように品種改良済みだからである。たしかに品種改良によって、よりおいしい品種に改良することはすばらしいことであるが、その結果、家庭菜園ではできなくなってしまうという、負の側面も見逃せない。
モモタロウなどブランドトマトでなくとも、昔のあのむせかえるほどの香りのいびつトマトのほうが、家庭菜園ではずっと適しているはずだ。そのための品種改良は必要なく、昔の種からそのまま種を取るだけで済む話だ。
同じことが、エンドウ豆についてもいえる。大きな実がびっしりつまったエンドウ豆は若いうちはサヤごと煮物に、豆は乾燥してエンドウご飯にと、ごく一般的なものであったが、現在のスナップエンドウとは全く違う。木の大きさ、実の大きさ、皮の薄さ、つける実の多さが桁違いなのだ。田植えの前に、刈り取った実ったエンドウの木から、実をもぐのが子供達の役割であった。取ってもとっても終わらない。いい加減うんざりしてしまう。そのとき一緒にエンドウもぎしていた兄が、「孝蔵、世界で一番いやなことって何」と聞くから、「わからない」と答えると、兄は「オレは、エンドウもぎさ」といったのを記憶している。それほど大量な実がついていたのだ。
その品種のエンドウをどうしても手に入れたくて、農家をしている小学校の同級生に、自家採種でエンドウを栽培している人を探してもらって、その種を分けてもらって栽培してみたら、ふつうのスナップエンドウで、しかも、自家採種のためか特にできが悪い。
話は、横道にそれたが、では、専門トマト農家はどうしているかというと、ビニールハウスで完全な土壌消毒を実施している。土壌消毒には二つの方法がある。春先に「クロールピクリン」などの劇薬で燻蒸消毒する方法と、夏の暑い間、水を絶ち、ビニールで覆い、太陽熱で加熱消毒する方法である。いずれも家庭菜園で実行するには難がある。
結局、現代ではおいしいトマトは専門農家でしか作れない社会になってしまっているのである。それはすべて種苗会社が支配している。支配の中には当然陰謀という種類のものも含まれている。その陰謀の技術革新はめざましく、品種改良は今や、DNA組み替えの世界に踏み込んでいる。メンデルの法則によるエンドウの品種改良の時代が懐かしい。人類は禁断の神の領域に踏み込んでしまった。
除草剤(ラウンドアップ)をどんなに吸収しても枯れない大豆を食べたいと思いますか、その大豆以外の雑草はすべて枯れてしまうほどの猛毒ですよ。もちろん、そんな単純な図式の話ではないだろうが、倫理という面もあるのではないだろうか。
家庭菜園どの定番といえば、夏野菜でいえば、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、スイカがまず揚げられよう。自分で育てた野菜を朝もいで、取りたて新鮮なものを口にする喜びは、単においしいという言葉では表せない魂が喜んでいることを実感できる。
これが家庭菜園の魅力であることは、だれもが知っている。
ところが、これはそう簡単なことではない。トマトについて言えば、作り始めて35年以上になるが、ロクにできたことがない。トマトが一番楽しみなのに、病気に冒されて、熟して赤くなるのではなく、病んで腐ってゆく過程で赤くなるものを、かろうじて味わうしかないのである。
わたしは、別に無農薬、無化学肥料での有機栽培にこだわっているわけではない。ただただおいしいトマトが食べたいだけなのだ。だから、野菜栽培について、読んだ本は数知れない。市販されている本以外にも、図書館に通って読みあさった。その結果、雨に当たらないため、雨よけのビニールで覆う、バイラス病予防のために紗で覆う、疫病予防のため、ダコニール、ダイセンなどで消毒する、草ボケしないようチッソ肥料を控え、堆肥など有機肥料を主体にするなど、考えられるすべての対策を実行してみたが、状況は少しも改善しない。終いには、ビニールハウスで、土をホームセンターで購入して、鉢植えで育ててみたら、なんとか成功した。ところが、苗の成長期には毎日水が必要で、怠ると、芯が枯死してしまうのである。家から一時間も要する農園に、毎日行くこともままならないことから、あきらめた。だいたい、土まで購入して栽培しても、自分で育てたという実感がなく、何かむなしいのである。
結局、できない原因は土にあることがわかった。ロクにできないことがわかっているので、やめてしまうのもさびしいので、数本程度の栽培にとどめている。今年は、2本と比較のため、おいしくないから本当は作りたくないのだが、ミニトマトを2本植えてみた。順調に育って、7月に入ったある日突然しんなりとしおれてしまった。青枯れ病である。こうなったら、どんな対策も効果がなく打つ手がないということは、すでに知っている。あきらめるしかない。専門書でも、打つ手がないから直ちに抜き取り、遠方に廃棄するとしか書かれていない。ところが、隣のミニトマトは順調なのである。青枯れ病耐性が強いのだ。この青枯れ病は土壌の細菌によるもので、土壌の水分で拡大する傾向があるため、今年のように雨が多いと特に被害は拡大してしまう。
青枯れ病はナス科の植物に特有な病気のため、当然、ナス、ピーマンも対象になるが、幸い今年は、青枯れ病耐性を持った台木に接ぎ木したナス苗を購入できたため、今のところ、順調である。トマトも何故、青枯れ病耐性を持った接ぎ木苗が出現しないのだろうか。
そもそも、トマト栽培って、本当にそんなに難しいものなだろうか。子供の頃、農家であった実家では、親父がいとも簡単にトマトを栽培していて、そのトマトもやたら大きく形もいびつであったが、それをもぐときの、むせかえるほどの強烈なトマトの木の臭いをよく覚えている。びっしり実をつけていた。それは我が家だけではなく、どこの畑でも同様で、子供達は、ため池での水泳の帰りには、少しの罪悪感はあったものの、こっそり盗み食いするのは、ごく一般的であった。しかし、「スイカ泥棒」だけは子供達の間でも、うわさは広がり、それだけは許されないという道徳観があった。田舎で通用する微妙なバランス感が、機能していたように思う。
当時のトマトだったら、簡単に香り豊かなトマトがつくれるはずだと強く思う。当時は、自家トマトから良さそうなものから、種をとり、それを翌年、苗から育てるのは、ナス、キュウリその他ほとんどの作物で常識であった。それは現在では不可能だ。なぜなら、一代交配種といって、種苗会社が、自家採取したものでは正常に育たなくするように品種改良済みだからである。たしかに品種改良によって、よりおいしい品種に改良することはすばらしいことであるが、その結果、家庭菜園ではできなくなってしまうという、負の側面も見逃せない。
モモタロウなどブランドトマトでなくとも、昔のあのむせかえるほどの香りのいびつトマトのほうが、家庭菜園ではずっと適しているはずだ。そのための品種改良は必要なく、昔の種からそのまま種を取るだけで済む話だ。
同じことが、エンドウ豆についてもいえる。大きな実がびっしりつまったエンドウ豆は若いうちはサヤごと煮物に、豆は乾燥してエンドウご飯にと、ごく一般的なものであったが、現在のスナップエンドウとは全く違う。木の大きさ、実の大きさ、皮の薄さ、つける実の多さが桁違いなのだ。田植えの前に、刈り取った実ったエンドウの木から、実をもぐのが子供達の役割であった。取ってもとっても終わらない。いい加減うんざりしてしまう。そのとき一緒にエンドウもぎしていた兄が、「孝蔵、世界で一番いやなことって何」と聞くから、「わからない」と答えると、兄は「オレは、エンドウもぎさ」といったのを記憶している。それほど大量な実がついていたのだ。
その品種のエンドウをどうしても手に入れたくて、農家をしている小学校の同級生に、自家採種でエンドウを栽培している人を探してもらって、その種を分けてもらって栽培してみたら、ふつうのスナップエンドウで、しかも、自家採種のためか特にできが悪い。
話は、横道にそれたが、では、専門トマト農家はどうしているかというと、ビニールハウスで完全な土壌消毒を実施している。土壌消毒には二つの方法がある。春先に「クロールピクリン」などの劇薬で燻蒸消毒する方法と、夏の暑い間、水を絶ち、ビニールで覆い、太陽熱で加熱消毒する方法である。いずれも家庭菜園で実行するには難がある。
結局、現代ではおいしいトマトは専門農家でしか作れない社会になってしまっているのである。それはすべて種苗会社が支配している。支配の中には当然陰謀という種類のものも含まれている。その陰謀の技術革新はめざましく、品種改良は今や、DNA組み替えの世界に踏み込んでいる。メンデルの法則によるエンドウの品種改良の時代が懐かしい。人類は禁断の神の領域に踏み込んでしまった。
除草剤(ラウンドアップ)をどんなに吸収しても枯れない大豆を食べたいと思いますか、その大豆以外の雑草はすべて枯れてしまうほどの猛毒ですよ。もちろん、そんな単純な図式の話ではないだろうが、倫理という面もあるのではないだろうか。
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