自給自足農園「ゆめぞの」から(池田孝蔵)
ソルダムに恋して [家庭菜園]
投稿日時:2014/07/05(土) 21:16
ソルダムに恋して
そろそろプラムの一種ソルダムの実る季節を迎える。自給自足農園「ゆめぞの」を開設以来ソルダムの栽培が最大の目的であった。平成10年開設と同時に先ずソルダムと、梅、桃の苗木を植えた。
何故ソルダムにこだわるかと言えば、果樹の中でソルダムだけは木で熟したものを入手するには、自分で栽培するしかないことを知っていたからであるソルダムは日持ちがしないため2~3日でずくずくになってしまうため、早めに収穫して出荷せざるを得ないのだ。それは木で熟したものとは天と地ほどおいしさに差がある。おそらく世の中のほとんど人が木で熟したソルダムのおいしさを知らないと思う。
何故そんなことをこの私があえて言うかというと、実は、私の実家は信州のリンゴ農家であったので、木で取り残されたリンゴの、格別のおいしさを知っているからである。特に、それは紅玉という現在では、八百屋でもほとんど見られなくなった品種に顕著であった。紅玉は秋の早い内9月から色づくため、希少価値から高値で出荷できたものだったが、出荷作業をしながら、親父はよく言っていたものだ。「こんなリンゴ誰が食べるのだろうなあ」と。酸っぱいばかりでとてもじゃないが食べられたものではない代物だった。しかも一週間もしないうちにふかふかにぼけてしまうほど日持ちがしないのである。いわゆるボケリンゴというやつで、信州リンゴの古里では、学校の教師が生徒を注意して怒鳴るとき、「このボケリンゴ」とどなる。わたしも何回ボケリンゴと怒鳴られたかしらないほど、当たり前な表現だったのだ。現代だったら、マスコミに取り上げられ大騒ぎになるところだろう。
そんな紅玉リンゴは結局、木で熟しておいしくなるときには、価格が暴落し、親父はいつも「箱代にもならない」とぼやいていた。しかし、木に取り残されたリンゴをもいで食べると、そのおいしさは、リンゴという概念では表現できないほどすばらしいものだった。熟しているのに、パンパンに張っていて、歯ごたえもあり、かぶりつくと、果汁がしたたり落ちる。その果汁で服を汚さないため、顔を横に傾けて最初の一かじりでほとばしる果汁を避ける食べ方が、身についていた。それは無意識の行動であったが、大学時代に友人から、「池田はリンゴを食べるとき何故横を向くのか」と問われて、初めて自分の無意識のくせを知ったものだった。
そんな紅玉が現在ほとんど見られなくなったのは、価格が暴落する紅玉に代わって「フジ」なる品種がうまれて、リンゴ農家はほとんど紅玉に見切りをつけて、伐採して「フジ」に接ぎ木をしたものだった。それは私が高校に進学するころだったから、昭和34年頃の話である。私はあの紅玉の味が忘れず、「頼むから、おれのためにせめて一本残してほしい」と親父に懇願したが、「だめだ、紅玉では箱代にもならない」といって、すべてフジに置き換わってしまった。私に言わせれば、物珍しさから、高値がつくからと言って、「こんなリンゴだれが食べるのかなあ」と言いつつ、出荷した生産者こそが責任があるはずだと、高校生である私にもわかっていた。生産者は本来、おいしいと自信を持っているものを出荷すべきだったのだ。その結果、この世の中から紅玉が消えてしまった。(時々料理用として見かけることもあるが)残念なことである。それ以来、私はリンゴを購入することはなくなった。たまに、紅玉を見かけると、購入して昔の記憶をたどるのだが、もとより木で熟したあの味とは全く異なるが、少なくともあのフジなんかよりは、はるかに、私の好きだったあのリンゴの味を思い起こさせてくれる。
そんな紅玉の運命と近いものをソルダムに感じているのだ。木で熟したものは出荷できない。したがって、早めに収穫して出荷すると、それは木で熟したものと全く異なる。 私は生涯にただ一度木で熟したとおぼしきソルダムを食したことがある。その果肉の弾力と甘み酸味の調和は、まさに私が子供の頃味わったあの、木で熟した紅玉リンゴを思い出させるものであった。
その後、ソルダム栽培農家を見つけ、直接木からもいでもみたが、木で熟す前に、出荷あるいは他の客が求めてしまうので、木で熟したものを入手することは、ほとんどかなわないのである。
これはもう自家栽培しかない、との決心から、農園開設早々ソルダムを植えたものの、15年も経過し、木は大きく育って、花もびっしりつけるものの、実はほとんどつかない。ついたとしても数個、しかもうっすら色づく頃には、ほとんど鳥に食べられてしまい、その落ちた残骸の実の残りをわずか味あうしかない。受粉木の問題も考え、ソルダム農家を訊ね、サンタローゼという品種を教えてもらったが、何の効果もない。
何が足りないのかどうしてもわからない。
あの一度しか味わったことがない、外皮は緑でも中は真っ赤な、あの弾力ある果肉のソルダムをどうしても食べたい。そのためには、自家栽培しかないというのも悔しい。
そろそろプラムの一種ソルダムの実る季節を迎える。自給自足農園「ゆめぞの」を開設以来ソルダムの栽培が最大の目的であった。平成10年開設と同時に先ずソルダムと、梅、桃の苗木を植えた。
何故ソルダムにこだわるかと言えば、果樹の中でソルダムだけは木で熟したものを入手するには、自分で栽培するしかないことを知っていたからであるソルダムは日持ちがしないため2~3日でずくずくになってしまうため、早めに収穫して出荷せざるを得ないのだ。それは木で熟したものとは天と地ほどおいしさに差がある。おそらく世の中のほとんど人が木で熟したソルダムのおいしさを知らないと思う。
何故そんなことをこの私があえて言うかというと、実は、私の実家は信州のリンゴ農家であったので、木で取り残されたリンゴの、格別のおいしさを知っているからである。特に、それは紅玉という現在では、八百屋でもほとんど見られなくなった品種に顕著であった。紅玉は秋の早い内9月から色づくため、希少価値から高値で出荷できたものだったが、出荷作業をしながら、親父はよく言っていたものだ。「こんなリンゴ誰が食べるのだろうなあ」と。酸っぱいばかりでとてもじゃないが食べられたものではない代物だった。しかも一週間もしないうちにふかふかにぼけてしまうほど日持ちがしないのである。いわゆるボケリンゴというやつで、信州リンゴの古里では、学校の教師が生徒を注意して怒鳴るとき、「このボケリンゴ」とどなる。わたしも何回ボケリンゴと怒鳴られたかしらないほど、当たり前な表現だったのだ。現代だったら、マスコミに取り上げられ大騒ぎになるところだろう。
そんな紅玉リンゴは結局、木で熟しておいしくなるときには、価格が暴落し、親父はいつも「箱代にもならない」とぼやいていた。しかし、木に取り残されたリンゴをもいで食べると、そのおいしさは、リンゴという概念では表現できないほどすばらしいものだった。熟しているのに、パンパンに張っていて、歯ごたえもあり、かぶりつくと、果汁がしたたり落ちる。その果汁で服を汚さないため、顔を横に傾けて最初の一かじりでほとばしる果汁を避ける食べ方が、身についていた。それは無意識の行動であったが、大学時代に友人から、「池田はリンゴを食べるとき何故横を向くのか」と問われて、初めて自分の無意識のくせを知ったものだった。
そんな紅玉が現在ほとんど見られなくなったのは、価格が暴落する紅玉に代わって「フジ」なる品種がうまれて、リンゴ農家はほとんど紅玉に見切りをつけて、伐採して「フジ」に接ぎ木をしたものだった。それは私が高校に進学するころだったから、昭和34年頃の話である。私はあの紅玉の味が忘れず、「頼むから、おれのためにせめて一本残してほしい」と親父に懇願したが、「だめだ、紅玉では箱代にもならない」といって、すべてフジに置き換わってしまった。私に言わせれば、物珍しさから、高値がつくからと言って、「こんなリンゴだれが食べるのかなあ」と言いつつ、出荷した生産者こそが責任があるはずだと、高校生である私にもわかっていた。生産者は本来、おいしいと自信を持っているものを出荷すべきだったのだ。その結果、この世の中から紅玉が消えてしまった。(時々料理用として見かけることもあるが)残念なことである。それ以来、私はリンゴを購入することはなくなった。たまに、紅玉を見かけると、購入して昔の記憶をたどるのだが、もとより木で熟したあの味とは全く異なるが、少なくともあのフジなんかよりは、はるかに、私の好きだったあのリンゴの味を思い起こさせてくれる。
そんな紅玉の運命と近いものをソルダムに感じているのだ。木で熟したものは出荷できない。したがって、早めに収穫して出荷すると、それは木で熟したものと全く異なる。 私は生涯にただ一度木で熟したとおぼしきソルダムを食したことがある。その果肉の弾力と甘み酸味の調和は、まさに私が子供の頃味わったあの、木で熟した紅玉リンゴを思い出させるものであった。
その後、ソルダム栽培農家を見つけ、直接木からもいでもみたが、木で熟す前に、出荷あるいは他の客が求めてしまうので、木で熟したものを入手することは、ほとんどかなわないのである。
これはもう自家栽培しかない、との決心から、農園開設早々ソルダムを植えたものの、15年も経過し、木は大きく育って、花もびっしりつけるものの、実はほとんどつかない。ついたとしても数個、しかもうっすら色づく頃には、ほとんど鳥に食べられてしまい、その落ちた残骸の実の残りをわずか味あうしかない。受粉木の問題も考え、ソルダム農家を訊ね、サンタローゼという品種を教えてもらったが、何の効果もない。
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