自給自足農園「ゆめぞの」から(池田孝蔵) ブログテーマ:家庭菜園
端境期
[家庭菜園] 投稿日時:2014/08/08(金) 18:05
端境期
毎年8月上旬は、家庭菜園を営む者にとっては、地獄の試練を避けては通れない。
それは、夏野菜の代表であるカボチャやスイカの採り入れが済んで、伸びきったツルや雑草を整理して、秋野菜の準備に入らなければならないからだ。
秋野菜なんて9月だろうから、何も連日猛暑日のこの時期でなくても、お盆過ぎの暑さも落ち着いた頃にすればと、言われるかもしれないが、そういうわけには行かない事情がある。それは、雑草である。メヒシバ、やオヒシバ、エノコログサ、カヤツリグサ、スベリヒュなどの雑草が、一斉に種をつける時期にあたるのである。それらが結実して種を落とすと、それは、翌年以降の雑草の種として、大活躍することになる。
したがって、どうしてもこの猛暑日にもかかわらず、刈り取ってしまわなければならないのである。毎年この作業を行っていると、あまりの苦しさに、一瞬、死ぬかもしれないと、頭をよぎることがある。しかし、直後、ま、それもいいかと、思い直すことにしている。なぜならば、こんなことでポックリ逝ったら、本人にとってこんな幸せなことはないと思うからだ。周りの人には迷惑をかけるかもしれないが、認知症になって、長い間迷惑をかけるよりは、はるかにマシではないだろうか。
ところが、今年は、単に苦しいだけでなく、腰に力が入らなくなってしまい、作業が継続できないのだ。これまでは、苦しくても我慢すれば作業を継続できたものが、今年はできない。しかたないから、朝早い時間帯に、少しずつ作業を行い、4日かけて、ようやく本日完了した。
こんなこと、あと何年できるだろうか。「あと何年」と明るく受け止めようとは思うのだが
毎年8月上旬は、家庭菜園を営む者にとっては、地獄の試練を避けては通れない。
それは、夏野菜の代表であるカボチャやスイカの採り入れが済んで、伸びきったツルや雑草を整理して、秋野菜の準備に入らなければならないからだ。
秋野菜なんて9月だろうから、何も連日猛暑日のこの時期でなくても、お盆過ぎの暑さも落ち着いた頃にすればと、言われるかもしれないが、そういうわけには行かない事情がある。それは、雑草である。メヒシバ、やオヒシバ、エノコログサ、カヤツリグサ、スベリヒュなどの雑草が、一斉に種をつける時期にあたるのである。それらが結実して種を落とすと、それは、翌年以降の雑草の種として、大活躍することになる。
したがって、どうしてもこの猛暑日にもかかわらず、刈り取ってしまわなければならないのである。毎年この作業を行っていると、あまりの苦しさに、一瞬、死ぬかもしれないと、頭をよぎることがある。しかし、直後、ま、それもいいかと、思い直すことにしている。なぜならば、こんなことでポックリ逝ったら、本人にとってこんな幸せなことはないと思うからだ。周りの人には迷惑をかけるかもしれないが、認知症になって、長い間迷惑をかけるよりは、はるかにマシではないだろうか。
ところが、今年は、単に苦しいだけでなく、腰に力が入らなくなってしまい、作業が継続できないのだ。これまでは、苦しくても我慢すれば作業を継続できたものが、今年はできない。しかたないから、朝早い時間帯に、少しずつ作業を行い、4日かけて、ようやく本日完了した。
こんなこと、あと何年できるだろうか。「あと何年」と明るく受け止めようとは思うのだが
恋するソルダムを味わう
[家庭菜園] 投稿日時:2014/07/29(火) 11:05
今年は珍しくソルダムが五つほど実をつけた。毎年数個の実をつけるのだが、ちゃんと受粉木と交配がなされないと、プラムみたいに小さく、本来のソルダムではなかった。しかし、今年は、ちゃんとしたものらしきものが、五つ確認できたのである。
少し色づくとたちまち鳥に狙われてしまうので、今年は早めに不織布で覆って熟すのを待つことにした。7月も下旬となり、そろそろかと、様子を見に行ったところ、特に良さそうなものが3個なくなっているではないか。不織布はかかったまま、鳥がついばんだ形跡は何もないのに、完全になくなっている。落ちたのではと、木の下を探しても何もない。これは、布の隙間に腕を差し込まないと、採れないのは明らかで、人間に盗まれたかと一瞬疑ってはみた。しかし、考えてみれば、大きな木にたった五つしかなっていないものを、わざわざ木に登って盗み取るような、奇特な人間がこの世にいるはずはない。それに、3個だけ盗んで、あと2個を残すのも理解できない。
そして、ふと近くのトウモロコシをみると、本日採り入れとしていたものが、根こそぎもぎ取られ、しかも、食い散らかした残骸が、そこここ散らばっているではないか。
もし、人間であったら、まさか生で食い散らかす事はないはずだ。カラスの食害もよくある話であるが、もぎ取って食い散らかすのは、鳥ではできないはずである。また、食べかすの芯は数本しかなく、ほとんどは持ち去られてしまっている。
スイカも大分被害があったが、これは鳥の仕業と割り切っていたが、トウモロコシの被害様相から推定すると、鳥ではない、知恵あるほ乳類の仕業としか考えられない。
おそらく狸かハクビシンではないか思われる。
不織布で覆ってガードしてもダメとあれば、もう、採り入れててしまうしかない。ほんとうは、8月上旬まで、じっくり木で熟すのを待ちたいところであるが、しかたがない。
そして、とうとう恋するソルダムを味わいました。たった2個、そのうちの一つを本日食べました。初恋はレモン味だそうですが、酸味もなだ大分残っていましたが、真っ赤な果肉は弾力があり、甘く濃厚な味で十分満足できました。
たった一つで物足りないと思われるかも知れないが、本当に旨い物は、一つでも十分だと考えています。もし、それがたくさんあれば、それが当たり前になってしまい、有り難みもなくなると思うからです。
「弁慶の一本槍」というのをご存知だろうか。弁慶は生涯にただ一度しか女性と交わったことがないという。なぜならば、ただ一度の経験で、これは何回行っても同じことだと悟ったからだという。さすが偉人は違うものだと感心させられたものだ。
この度のソルダムも「弁慶の一本槍」みたいなものと思えないこともない。
負け惜しみだろうか。
難しいトマト栽培
[家庭菜園] 投稿日時:2014/07/07(月) 11:40
難しいトマト栽培
家庭菜園どの定番といえば、夏野菜でいえば、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、スイカがまず揚げられよう。自分で育てた野菜を朝もいで、取りたて新鮮なものを口にする喜びは、単においしいという言葉では表せない魂が喜んでいることを実感できる。
これが家庭菜園の魅力であることは、だれもが知っている。
ところが、これはそう簡単なことではない。トマトについて言えば、作り始めて35年以上になるが、ロクにできたことがない。トマトが一番楽しみなのに、病気に冒されて、熟して赤くなるのではなく、病んで腐ってゆく過程で赤くなるものを、かろうじて味わうしかないのである。
わたしは、別に無農薬、無化学肥料での有機栽培にこだわっているわけではない。ただただおいしいトマトが食べたいだけなのだ。だから、野菜栽培について、読んだ本は数知れない。市販されている本以外にも、図書館に通って読みあさった。その結果、雨に当たらないため、雨よけのビニールで覆う、バイラス病予防のために紗で覆う、疫病予防のため、ダコニール、ダイセンなどで消毒する、草ボケしないようチッソ肥料を控え、堆肥など有機肥料を主体にするなど、考えられるすべての対策を実行してみたが、状況は少しも改善しない。終いには、ビニールハウスで、土をホームセンターで購入して、鉢植えで育ててみたら、なんとか成功した。ところが、苗の成長期には毎日水が必要で、怠ると、芯が枯死してしまうのである。家から一時間も要する農園に、毎日行くこともままならないことから、あきらめた。だいたい、土まで購入して栽培しても、自分で育てたという実感がなく、何かむなしいのである。
結局、できない原因は土にあることがわかった。ロクにできないことがわかっているので、やめてしまうのもさびしいので、数本程度の栽培にとどめている。今年は、2本と比較のため、おいしくないから本当は作りたくないのだが、ミニトマトを2本植えてみた。順調に育って、7月に入ったある日突然しんなりとしおれてしまった。青枯れ病である。こうなったら、どんな対策も効果がなく打つ手がないということは、すでに知っている。あきらめるしかない。専門書でも、打つ手がないから直ちに抜き取り、遠方に廃棄するとしか書かれていない。ところが、隣のミニトマトは順調なのである。青枯れ病耐性が強いのだ。この青枯れ病は土壌の細菌によるもので、土壌の水分で拡大する傾向があるため、今年のように雨が多いと特に被害は拡大してしまう。
青枯れ病はナス科の植物に特有な病気のため、当然、ナス、ピーマンも対象になるが、幸い今年は、青枯れ病耐性を持った台木に接ぎ木したナス苗を購入できたため、今のところ、順調である。トマトも何故、青枯れ病耐性を持った接ぎ木苗が出現しないのだろうか。
そもそも、トマト栽培って、本当にそんなに難しいものなだろうか。子供の頃、農家であった実家では、親父がいとも簡単にトマトを栽培していて、そのトマトもやたら大きく形もいびつであったが、それをもぐときの、むせかえるほどの強烈なトマトの木の臭いをよく覚えている。びっしり実をつけていた。それは我が家だけではなく、どこの畑でも同様で、子供達は、ため池での水泳の帰りには、少しの罪悪感はあったものの、こっそり盗み食いするのは、ごく一般的であった。しかし、「スイカ泥棒」だけは子供達の間でも、うわさは広がり、それだけは許されないという道徳観があった。田舎で通用する微妙なバランス感が、機能していたように思う。
当時のトマトだったら、簡単に香り豊かなトマトがつくれるはずだと強く思う。当時は、自家トマトから良さそうなものから、種をとり、それを翌年、苗から育てるのは、ナス、キュウリその他ほとんどの作物で常識であった。それは現在では不可能だ。なぜなら、一代交配種といって、種苗会社が、自家採取したものでは正常に育たなくするように品種改良済みだからである。たしかに品種改良によって、よりおいしい品種に改良することはすばらしいことであるが、その結果、家庭菜園ではできなくなってしまうという、負の側面も見逃せない。
モモタロウなどブランドトマトでなくとも、昔のあのむせかえるほどの香りのいびつトマトのほうが、家庭菜園ではずっと適しているはずだ。そのための品種改良は必要なく、昔の種からそのまま種を取るだけで済む話だ。
同じことが、エンドウ豆についてもいえる。大きな実がびっしりつまったエンドウ豆は若いうちはサヤごと煮物に、豆は乾燥してエンドウご飯にと、ごく一般的なものであったが、現在のスナップエンドウとは全く違う。木の大きさ、実の大きさ、皮の薄さ、つける実の多さが桁違いなのだ。田植えの前に、刈り取った実ったエンドウの木から、実をもぐのが子供達の役割であった。取ってもとっても終わらない。いい加減うんざりしてしまう。そのとき一緒にエンドウもぎしていた兄が、「孝蔵、世界で一番いやなことって何」と聞くから、「わからない」と答えると、兄は「オレは、エンドウもぎさ」といったのを記憶している。それほど大量な実がついていたのだ。
その品種のエンドウをどうしても手に入れたくて、農家をしている小学校の同級生に、自家採種でエンドウを栽培している人を探してもらって、その種を分けてもらって栽培してみたら、ふつうのスナップエンドウで、しかも、自家採種のためか特にできが悪い。
話は、横道にそれたが、では、専門トマト農家はどうしているかというと、ビニールハウスで完全な土壌消毒を実施している。土壌消毒には二つの方法がある。春先に「クロールピクリン」などの劇薬で燻蒸消毒する方法と、夏の暑い間、水を絶ち、ビニールで覆い、太陽熱で加熱消毒する方法である。いずれも家庭菜園で実行するには難がある。
結局、現代ではおいしいトマトは専門農家でしか作れない社会になってしまっているのである。それはすべて種苗会社が支配している。支配の中には当然陰謀という種類のものも含まれている。その陰謀の技術革新はめざましく、品種改良は今や、DNA組み替えの世界に踏み込んでいる。メンデルの法則によるエンドウの品種改良の時代が懐かしい。人類は禁断の神の領域に踏み込んでしまった。
除草剤(ラウンドアップ)をどんなに吸収しても枯れない大豆を食べたいと思いますか、その大豆以外の雑草はすべて枯れてしまうほどの猛毒ですよ。もちろん、そんな単純な図式の話ではないだろうが、倫理という面もあるのではないだろうか。
家庭菜園どの定番といえば、夏野菜でいえば、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、スイカがまず揚げられよう。自分で育てた野菜を朝もいで、取りたて新鮮なものを口にする喜びは、単においしいという言葉では表せない魂が喜んでいることを実感できる。
これが家庭菜園の魅力であることは、だれもが知っている。
ところが、これはそう簡単なことではない。トマトについて言えば、作り始めて35年以上になるが、ロクにできたことがない。トマトが一番楽しみなのに、病気に冒されて、熟して赤くなるのではなく、病んで腐ってゆく過程で赤くなるものを、かろうじて味わうしかないのである。
わたしは、別に無農薬、無化学肥料での有機栽培にこだわっているわけではない。ただただおいしいトマトが食べたいだけなのだ。だから、野菜栽培について、読んだ本は数知れない。市販されている本以外にも、図書館に通って読みあさった。その結果、雨に当たらないため、雨よけのビニールで覆う、バイラス病予防のために紗で覆う、疫病予防のため、ダコニール、ダイセンなどで消毒する、草ボケしないようチッソ肥料を控え、堆肥など有機肥料を主体にするなど、考えられるすべての対策を実行してみたが、状況は少しも改善しない。終いには、ビニールハウスで、土をホームセンターで購入して、鉢植えで育ててみたら、なんとか成功した。ところが、苗の成長期には毎日水が必要で、怠ると、芯が枯死してしまうのである。家から一時間も要する農園に、毎日行くこともままならないことから、あきらめた。だいたい、土まで購入して栽培しても、自分で育てたという実感がなく、何かむなしいのである。
結局、できない原因は土にあることがわかった。ロクにできないことがわかっているので、やめてしまうのもさびしいので、数本程度の栽培にとどめている。今年は、2本と比較のため、おいしくないから本当は作りたくないのだが、ミニトマトを2本植えてみた。順調に育って、7月に入ったある日突然しんなりとしおれてしまった。青枯れ病である。こうなったら、どんな対策も効果がなく打つ手がないということは、すでに知っている。あきらめるしかない。専門書でも、打つ手がないから直ちに抜き取り、遠方に廃棄するとしか書かれていない。ところが、隣のミニトマトは順調なのである。青枯れ病耐性が強いのだ。この青枯れ病は土壌の細菌によるもので、土壌の水分で拡大する傾向があるため、今年のように雨が多いと特に被害は拡大してしまう。
青枯れ病はナス科の植物に特有な病気のため、当然、ナス、ピーマンも対象になるが、幸い今年は、青枯れ病耐性を持った台木に接ぎ木したナス苗を購入できたため、今のところ、順調である。トマトも何故、青枯れ病耐性を持った接ぎ木苗が出現しないのだろうか。
そもそも、トマト栽培って、本当にそんなに難しいものなだろうか。子供の頃、農家であった実家では、親父がいとも簡単にトマトを栽培していて、そのトマトもやたら大きく形もいびつであったが、それをもぐときの、むせかえるほどの強烈なトマトの木の臭いをよく覚えている。びっしり実をつけていた。それは我が家だけではなく、どこの畑でも同様で、子供達は、ため池での水泳の帰りには、少しの罪悪感はあったものの、こっそり盗み食いするのは、ごく一般的であった。しかし、「スイカ泥棒」だけは子供達の間でも、うわさは広がり、それだけは許されないという道徳観があった。田舎で通用する微妙なバランス感が、機能していたように思う。
当時のトマトだったら、簡単に香り豊かなトマトがつくれるはずだと強く思う。当時は、自家トマトから良さそうなものから、種をとり、それを翌年、苗から育てるのは、ナス、キュウリその他ほとんどの作物で常識であった。それは現在では不可能だ。なぜなら、一代交配種といって、種苗会社が、自家採取したものでは正常に育たなくするように品種改良済みだからである。たしかに品種改良によって、よりおいしい品種に改良することはすばらしいことであるが、その結果、家庭菜園ではできなくなってしまうという、負の側面も見逃せない。
モモタロウなどブランドトマトでなくとも、昔のあのむせかえるほどの香りのいびつトマトのほうが、家庭菜園ではずっと適しているはずだ。そのための品種改良は必要なく、昔の種からそのまま種を取るだけで済む話だ。
同じことが、エンドウ豆についてもいえる。大きな実がびっしりつまったエンドウ豆は若いうちはサヤごと煮物に、豆は乾燥してエンドウご飯にと、ごく一般的なものであったが、現在のスナップエンドウとは全く違う。木の大きさ、実の大きさ、皮の薄さ、つける実の多さが桁違いなのだ。田植えの前に、刈り取った実ったエンドウの木から、実をもぐのが子供達の役割であった。取ってもとっても終わらない。いい加減うんざりしてしまう。そのとき一緒にエンドウもぎしていた兄が、「孝蔵、世界で一番いやなことって何」と聞くから、「わからない」と答えると、兄は「オレは、エンドウもぎさ」といったのを記憶している。それほど大量な実がついていたのだ。
その品種のエンドウをどうしても手に入れたくて、農家をしている小学校の同級生に、自家採種でエンドウを栽培している人を探してもらって、その種を分けてもらって栽培してみたら、ふつうのスナップエンドウで、しかも、自家採種のためか特にできが悪い。
話は、横道にそれたが、では、専門トマト農家はどうしているかというと、ビニールハウスで完全な土壌消毒を実施している。土壌消毒には二つの方法がある。春先に「クロールピクリン」などの劇薬で燻蒸消毒する方法と、夏の暑い間、水を絶ち、ビニールで覆い、太陽熱で加熱消毒する方法である。いずれも家庭菜園で実行するには難がある。
結局、現代ではおいしいトマトは専門農家でしか作れない社会になってしまっているのである。それはすべて種苗会社が支配している。支配の中には当然陰謀という種類のものも含まれている。その陰謀の技術革新はめざましく、品種改良は今や、DNA組み替えの世界に踏み込んでいる。メンデルの法則によるエンドウの品種改良の時代が懐かしい。人類は禁断の神の領域に踏み込んでしまった。
除草剤(ラウンドアップ)をどんなに吸収しても枯れない大豆を食べたいと思いますか、その大豆以外の雑草はすべて枯れてしまうほどの猛毒ですよ。もちろん、そんな単純な図式の話ではないだろうが、倫理という面もあるのではないだろうか。
ソルダムに恋して
[家庭菜園] 投稿日時:2014/07/05(土) 21:16
ソルダムに恋して
そろそろプラムの一種ソルダムの実る季節を迎える。自給自足農園「ゆめぞの」を開設以来ソルダムの栽培が最大の目的であった。平成10年開設と同時に先ずソルダムと、梅、桃の苗木を植えた。
何故ソルダムにこだわるかと言えば、果樹の中でソルダムだけは木で熟したものを入手するには、自分で栽培するしかないことを知っていたからであるソルダムは日持ちがしないため2~3日でずくずくになってしまうため、早めに収穫して出荷せざるを得ないのだ。それは木で熟したものとは天と地ほどおいしさに差がある。おそらく世の中のほとんど人が木で熟したソルダムのおいしさを知らないと思う。
何故そんなことをこの私があえて言うかというと、実は、私の実家は信州のリンゴ農家であったので、木で取り残されたリンゴの、格別のおいしさを知っているからである。特に、それは紅玉という現在では、八百屋でもほとんど見られなくなった品種に顕著であった。紅玉は秋の早い内9月から色づくため、希少価値から高値で出荷できたものだったが、出荷作業をしながら、親父はよく言っていたものだ。「こんなリンゴ誰が食べるのだろうなあ」と。酸っぱいばかりでとてもじゃないが食べられたものではない代物だった。しかも一週間もしないうちにふかふかにぼけてしまうほど日持ちがしないのである。いわゆるボケリンゴというやつで、信州リンゴの古里では、学校の教師が生徒を注意して怒鳴るとき、「このボケリンゴ」とどなる。わたしも何回ボケリンゴと怒鳴られたかしらないほど、当たり前な表現だったのだ。現代だったら、マスコミに取り上げられ大騒ぎになるところだろう。
そんな紅玉リンゴは結局、木で熟しておいしくなるときには、価格が暴落し、親父はいつも「箱代にもならない」とぼやいていた。しかし、木に取り残されたリンゴをもいで食べると、そのおいしさは、リンゴという概念では表現できないほどすばらしいものだった。熟しているのに、パンパンに張っていて、歯ごたえもあり、かぶりつくと、果汁がしたたり落ちる。その果汁で服を汚さないため、顔を横に傾けて最初の一かじりでほとばしる果汁を避ける食べ方が、身についていた。それは無意識の行動であったが、大学時代に友人から、「池田はリンゴを食べるとき何故横を向くのか」と問われて、初めて自分の無意識のくせを知ったものだった。
そんな紅玉が現在ほとんど見られなくなったのは、価格が暴落する紅玉に代わって「フジ」なる品種がうまれて、リンゴ農家はほとんど紅玉に見切りをつけて、伐採して「フジ」に接ぎ木をしたものだった。それは私が高校に進学するころだったから、昭和34年頃の話である。私はあの紅玉の味が忘れず、「頼むから、おれのためにせめて一本残してほしい」と親父に懇願したが、「だめだ、紅玉では箱代にもならない」といって、すべてフジに置き換わってしまった。私に言わせれば、物珍しさから、高値がつくからと言って、「こんなリンゴだれが食べるのかなあ」と言いつつ、出荷した生産者こそが責任があるはずだと、高校生である私にもわかっていた。生産者は本来、おいしいと自信を持っているものを出荷すべきだったのだ。その結果、この世の中から紅玉が消えてしまった。(時々料理用として見かけることもあるが)残念なことである。それ以来、私はリンゴを購入することはなくなった。たまに、紅玉を見かけると、購入して昔の記憶をたどるのだが、もとより木で熟したあの味とは全く異なるが、少なくともあのフジなんかよりは、はるかに、私の好きだったあのリンゴの味を思い起こさせてくれる。
そんな紅玉の運命と近いものをソルダムに感じているのだ。木で熟したものは出荷できない。したがって、早めに収穫して出荷すると、それは木で熟したものと全く異なる。 私は生涯にただ一度木で熟したとおぼしきソルダムを食したことがある。その果肉の弾力と甘み酸味の調和は、まさに私が子供の頃味わったあの、木で熟した紅玉リンゴを思い出させるものであった。
その後、ソルダム栽培農家を見つけ、直接木からもいでもみたが、木で熟す前に、出荷あるいは他の客が求めてしまうので、木で熟したものを入手することは、ほとんどかなわないのである。
これはもう自家栽培しかない、との決心から、農園開設早々ソルダムを植えたものの、15年も経過し、木は大きく育って、花もびっしりつけるものの、実はほとんどつかない。ついたとしても数個、しかもうっすら色づく頃には、ほとんど鳥に食べられてしまい、その落ちた残骸の実の残りをわずか味あうしかない。受粉木の問題も考え、ソルダム農家を訊ね、サンタローゼという品種を教えてもらったが、何の効果もない。
何が足りないのかどうしてもわからない。
あの一度しか味わったことがない、外皮は緑でも中は真っ赤な、あの弾力ある果肉のソルダムをどうしても食べたい。そのためには、自家栽培しかないというのも悔しい。
そろそろプラムの一種ソルダムの実る季節を迎える。自給自足農園「ゆめぞの」を開設以来ソルダムの栽培が最大の目的であった。平成10年開設と同時に先ずソルダムと、梅、桃の苗木を植えた。
何故ソルダムにこだわるかと言えば、果樹の中でソルダムだけは木で熟したものを入手するには、自分で栽培するしかないことを知っていたからであるソルダムは日持ちがしないため2~3日でずくずくになってしまうため、早めに収穫して出荷せざるを得ないのだ。それは木で熟したものとは天と地ほどおいしさに差がある。おそらく世の中のほとんど人が木で熟したソルダムのおいしさを知らないと思う。
何故そんなことをこの私があえて言うかというと、実は、私の実家は信州のリンゴ農家であったので、木で取り残されたリンゴの、格別のおいしさを知っているからである。特に、それは紅玉という現在では、八百屋でもほとんど見られなくなった品種に顕著であった。紅玉は秋の早い内9月から色づくため、希少価値から高値で出荷できたものだったが、出荷作業をしながら、親父はよく言っていたものだ。「こんなリンゴ誰が食べるのだろうなあ」と。酸っぱいばかりでとてもじゃないが食べられたものではない代物だった。しかも一週間もしないうちにふかふかにぼけてしまうほど日持ちがしないのである。いわゆるボケリンゴというやつで、信州リンゴの古里では、学校の教師が生徒を注意して怒鳴るとき、「このボケリンゴ」とどなる。わたしも何回ボケリンゴと怒鳴られたかしらないほど、当たり前な表現だったのだ。現代だったら、マスコミに取り上げられ大騒ぎになるところだろう。
そんな紅玉リンゴは結局、木で熟しておいしくなるときには、価格が暴落し、親父はいつも「箱代にもならない」とぼやいていた。しかし、木に取り残されたリンゴをもいで食べると、そのおいしさは、リンゴという概念では表現できないほどすばらしいものだった。熟しているのに、パンパンに張っていて、歯ごたえもあり、かぶりつくと、果汁がしたたり落ちる。その果汁で服を汚さないため、顔を横に傾けて最初の一かじりでほとばしる果汁を避ける食べ方が、身についていた。それは無意識の行動であったが、大学時代に友人から、「池田はリンゴを食べるとき何故横を向くのか」と問われて、初めて自分の無意識のくせを知ったものだった。
そんな紅玉が現在ほとんど見られなくなったのは、価格が暴落する紅玉に代わって「フジ」なる品種がうまれて、リンゴ農家はほとんど紅玉に見切りをつけて、伐採して「フジ」に接ぎ木をしたものだった。それは私が高校に進学するころだったから、昭和34年頃の話である。私はあの紅玉の味が忘れず、「頼むから、おれのためにせめて一本残してほしい」と親父に懇願したが、「だめだ、紅玉では箱代にもならない」といって、すべてフジに置き換わってしまった。私に言わせれば、物珍しさから、高値がつくからと言って、「こんなリンゴだれが食べるのかなあ」と言いつつ、出荷した生産者こそが責任があるはずだと、高校生である私にもわかっていた。生産者は本来、おいしいと自信を持っているものを出荷すべきだったのだ。その結果、この世の中から紅玉が消えてしまった。(時々料理用として見かけることもあるが)残念なことである。それ以来、私はリンゴを購入することはなくなった。たまに、紅玉を見かけると、購入して昔の記憶をたどるのだが、もとより木で熟したあの味とは全く異なるが、少なくともあのフジなんかよりは、はるかに、私の好きだったあのリンゴの味を思い起こさせてくれる。
そんな紅玉の運命と近いものをソルダムに感じているのだ。木で熟したものは出荷できない。したがって、早めに収穫して出荷すると、それは木で熟したものと全く異なる。 私は生涯にただ一度木で熟したとおぼしきソルダムを食したことがある。その果肉の弾力と甘み酸味の調和は、まさに私が子供の頃味わったあの、木で熟した紅玉リンゴを思い出させるものであった。
その後、ソルダム栽培農家を見つけ、直接木からもいでもみたが、木で熟す前に、出荷あるいは他の客が求めてしまうので、木で熟したものを入手することは、ほとんどかなわないのである。
これはもう自家栽培しかない、との決心から、農園開設早々ソルダムを植えたものの、15年も経過し、木は大きく育って、花もびっしりつけるものの、実はほとんどつかない。ついたとしても数個、しかもうっすら色づく頃には、ほとんど鳥に食べられてしまい、その落ちた残骸の実の残りをわずか味あうしかない。受粉木の問題も考え、ソルダム農家を訊ね、サンタローゼという品種を教えてもらったが、何の効果もない。
何が足りないのかどうしてもわからない。
あの一度しか味わったことがない、外皮は緑でも中は真っ赤な、あの弾力ある果肉のソルダムをどうしても食べたい。そのためには、自家栽培しかないというのも悔しい。
自給自足農園生活が目指すもの
[家庭菜園] 投稿日時:2014/07/04(金) 11:18
自給自足農園が目指すもの とにかく旨いものが食いたい。旨いものとはなにか。希代の美食家として名高い北大路魯山人の「美食の真髄」によれば、海にフグ、陸にワラビだという。美味の誉れ高いホアグラ、ツバメの巣、キャビア、スッポンなどもこれらに比べたら足下にも及ばないという。 実は、私は幼少のころからワラビに対し異常なほどのこだわりがあり、小学校時代から一人でも弁当を持って、山にワラビ取りに出かけた記憶がある。深山の奥深く一人分け入るときの恐怖感と戦いながらのワラビ取りであった。 そのころのワラビに対する思い込みはその後もずっと変わらず、社会人となって、あるとき同期入社の同僚をワラビ取りに誘ったところ、「何故たかだかワラビのためにそんな遠くの山にまで行くの」の問いに、「早春の山をワラビを求めて散策することは楽しいし、食べてもおいしいよ」と答えると、食べたとしても1束も食べられないし、わざわざあんな草取りみたいなことをしなくても、純粋に散策だけ楽しんだ方がよいのでは」と言われて、全く理解し合えることはないと初めて気がついた。相手は私をからかっているのではなく、本当に理解できないでいるように思えたからある。 それ以来現在に至るまで、今でも毎年、新潟県の山までワラビ取りを欠かした事はない。雪深い地方は雪解けの時期は初夏であり、一斉に植物が芽吹くため、山菜には絶好なのである。 魯山人に言わせれば、単に旨いというだけでなく、薄味のその先に無限の広がりを感じさせるのだという。私に言わせれば、無限の広がりはともかくとして、心身共にというか、何か魂が満足しているように感じる。季節のもの、特に山菜をおいしいと言うことは多かれ少なかれ、味というよりは、この種の味を味わっているように思う。それが、自分で山に分け入って取ってきたものとなると、さらに大きな喜びを伴ったおいしさが魂を満足させるのだと思う。 これは自給自足農園についても全く同じことが言えそうである。 「池田さん、そんな苦労しなくても、買ってもいくらもしないから、買った方がマシだ」とか、食べきれないものについては、販売したらどうですか」との忠告が多い。 いずれも自給自足農園の意義が全く理解されていないことに気がつく。 自給自足農園は何も食費節減が目的ではない。したがって、できたものがお金で取引されることに違和感を覚える。だからわたしはいつも「売ってくれと言われれば大根1本1000円でもいやだ、だけど、くれと言われれば喜んで差し上げる」と答えている。そして「おいしかった」のひとことで十分ですと。 現在、「食」という生物的にもっとも原始的なものが、貨幣経済に完全に依存していることが不思議でならない。より安い食をめざして競争した結果、誰も食材を自分で生産はしなくなった。それとともにもっと旨いものを食いたいというより、もっと安いものを求めるようになってしまった。 わたしは、味噌も大豆を栽培して、とれた大豆と糀で、「手前味噌」を作っているが、それは誰がなんと言おうと、私にとっては何物にも代えがたいおいしさである。手前味噌とはよくいったものである。そのおいしさはおそらく、大豆栽培から味噌の仕込み、熟成の経過をも共に味わっているからに違いない。 料理についてもレストランで食する際は、単に口先で味わうか、せめて周囲の雰囲気程度であろうが、自分で調理する場合は、切る、炒める、煮るなど各過程で、ひたすらおいしくなるよう念じながら作ったものは、それこそ世界中どこにもないここだけの味で、わたしはいつも独り言で「うまいなあ」と言いながら食べている。そう、私は、今、独居老人で、独り言でしかないのである。 先日の「半夏生」では、タコを食そうと、たまたまとれたキュウリとトマトを一口大に刻み、自家製の塩こうじであえて、オリーブオイルを垂らし、サラダ感覚でたべた。おそらくどこにもない料理だろうけれど、魂まで満足できた。そして、とれたてのラッキョを塩もみして熱湯をかけて半殺ししたものに、手前味噌をつけて食べると、これはもう、旨いまずいの世界を超えた、魂の世界である。 このように私のめざす自給自足農園は、おそらく通常の常識人には理解されにくいかも知れない。たとえていうなら、コンビニの総菜の正反対に位置するように思う。 めったに購入することはないが、たまたま、ポテトサラダなら、だれが作っても同じだろうと思い、買って食したところ、あやうく吐いてしまうほどであった。味は悪くないのに、体がというよりは魂が受け付けないのである。 これと全く同じ経験を小学生だったころ味わったことがある。それは、あれほど好きだったあんころ餅がある日突然、受け付けなくなってしまったことである。農家であった我が家では自宅栽培でとれたあずきであんこを作っていたのだが、その頃、格安の粉末あんのさらしあんが販売されるようになり、それを利用するようになってしまっていたのだ。兄弟5人の中で私だけが、どうしても食べられなかった記憶がある。あんこ自体が嫌いになったかというと、そうでもない。あずきをつぶした粒あんは好物であったから、いまから考えるとまがいもののさらしあんであったのではないかと思っている。 実家は信州だったため、冬にはきまって野沢菜漬けとたくあん漬けがあったが、子供の頃ほとんど食べたことがなく、私だけが漬け物嫌いで通っていた。しあし、所帯を持つようになってから、現在まで野沢菜漬けとたくあん漬けを欠かしたことはない。漬け物が嫌いなのではなく、まずい漬け物が嫌いなのである。実際は大好物と言える。野沢菜などは入手困難なため、自家栽培を続けている。塩だけで漬け込んだあのおいしさに勝るものはない。これからエキスを抽出して精製したら、極上な味の素ができあがるのではないか、とひそかに思い込んでいるほどである。高菜漬けもおいしいが、若干くせがある。 こんな生い立ちをしてきた私には定年後には必然的に自給自足農園生活しか考えられなかったのだ。それは単なる趣味でもないし、今はやりのスローフーズとも違ったもので、一言で言うと「旨いものが食いたい」だけかもしれない。しかし、美食ともまた違うような気がする。 これは、何も農産物に限ったものではなく、海産物でもたとえば殻付きカキは、できたら水洗いしないでレモンを絞って食べたいところであるが、店ではどうしても水洗いを勧められる。たしかに、中のよごれを見ると、そのまま食するには勇気がいる。いっそのこときれいな海水を購入してそれをかけて食べたいところである。口先で旨いと感じるか、魂が旨いと感じるかくらいの差がある。 そのほかではしめ鯖である。自分で作ったしめ鯖の旨さといったらない。しかしながら、注意していても、たまにあたってしまうことがある。過去に4回経験しているが、おう吐、下痢はないものの、胃の鈍痛は一週間も続くあの苦しさはたまらない。それでも、新鮮な鯖を見ると、つい、あの旨さの魅力に負けそうになる。 倅の嫁からあるとき「お義父さんは食べ物は何が好きですか」と問われて、「おいしいものが好き」と答えてしまった。嫁は当たり前と言わんばかりに笑っていたが、どんなものにも旨いものからまずいものまでその範囲は非常に広い。一般に流通しているものに不満があるなら、自分で作るしかない。調理ばかりでなく、野菜を自家栽培すればさらに味わいは深まる。できることなら、漁師も自前でやればもっと旨いものが食べられるのだが、そこまではかないそうにない。